た・ま・な・お・と

おんがくとピアノのことを書いています

ピアノ演奏の、というか生きるための自然な姿勢

ホモ・サピエンス本来の動物的な動きを自分で試行錯誤しているうちに、ヒト本来の立つ姿勢や座る姿勢ができると、こんなにも肩の力が抜けて、腕全体の力も抜けて、両肩がズズーッと下がってくるもんなんだなぁとびっくりしています。

 

背骨のカーブが決まると、両肩というか鎖骨が下がってきて、首まわりの筋肉が伸びて、気持ちいいことこの上ありません。物心ついてから今まで何十年も、とんでもない姿勢で生きてきたことに愕然とする一方で、生きているうちに気がついて良かった、と心底思います。

 

ただ、この姿勢を基本にして、歩いたり、踊ったり、ピアノを弾いたりするためには、さらに訓練というか、慣れていく必要がありますし、第一、この姿勢をキープすることが、今の私にはとても難しいことです。

 

まずは、

①身体の柔軟性をもっと上げて、パワートレイン(ヒトの場合は、尾骨・仙骨~股関節~背骨~肩甲骨~胸鎖関節つまりは体幹を構成する骨格の動きの連動)を潤滑にして、力の伝達を効率化すると同時に、

②ヒト本来の自然な姿勢(背骨のカーブ)を維持できるように、腹筋や腰回り(丹田)や下半身の筋肉を強化する、

ということが絶対的に必要だと感じます。

 

それができると、わたしもヒト本来の動物としての動きを取り戻すことができて、そもそもの日常生活や身体の健康が大幅に向上すると思います。

 

その上で、スポーツでもヒップホップでもピアノでもドラムでも何でも、自分の好きなことをやれば、フィジカル(身体的)でメカニカル(機械的)な動物的側面で悩むことを少なくできて、その分、頭脳的・戦術的・芸術的な、人間ならではの側面に脳を注力させることができます。

 

と思うのは、このホモ・サピエンスの自然な姿勢がわかるようになって、そのやり方でピアノを弾き始めると、難しいテクニックや、今までに習った先生たちに言われて四苦八苦してきたことが、いともあっさりできるようになってきたからです。たとえば:

☆親指くぐり(thumb crossing)。これがピアノのメカニカル技術のマスターの聖杯(holy grail)だと思う)が上達してきた、

アルペジオの正確性が上がってきた、

☆スケールをコロコロ弾けるようになってきた(真珠のように粒が揃ってきた←フランス語の言い方忘れた)

☆右手のコード弾きのときに、小指のメロディーだけ強く弾けるようになってきた

☆小指の弾く形が、PianoCareerAcademy の IlincaVartic先生の言うとおりの形になってきた、

☆いままで複数の先生に「親指を返すときは手の力を抜け」、「アルペジオでは肘から返すな」、「右手の小指のメロディーを強く弾くときには腕を振れ」、「コードを弾くときは、先に手の形をしっかり作ってから鍵盤を叩け」などなど、末端の動きの指導をいろいろ受けましたが、ヒト本来の自然な姿勢ができた上で、パワートレインの本来の動かし方ができれば、そんな末端のことをいちいち頭で考えなくても、ぜんぶ自然にできてしまうんだということがわかった。

 

つまりは、指や手や腕といった末端のことを忘れ去って、姿勢とパワートレイン(とくにパワーの原動力であるヒトの「後輪駆動部」)を意識して弾いたほうが、はるかにリラックスして、メカニカル的に上手に、そしてハッピーに弾けるということがわかりました。

 

そして、ヒト本来の動きで弾けば弾くほど、肩まわりがほぐれてきて、肩こり解消にもなるんだなぁと感じています。ヒト本来の姿勢と動きでピアノを弾けば、肩がほぐれてヘルシーになるんだ (だから、ピアノを弾いて肩が凝るようだったら、ヒト本来の姿勢や動きができていなくて、不自然な姿勢や動きで弾いているので、ピアノを弾くとますます肩が凝るし手も傷める)。

 

体幹ではなくて末端の、指の形や手の形や腕のことばかりを意識して弾けば弾くほど、肩に力が入り、ということは、ヒト本来の自然な姿勢がくずれ、パワートレインが作動せず、不自然な動きになるので、うまく弾けずに、ますますやっきになって、さらに指の形や手の形や腕のことばかり気にして弾くので、力まかせに末端を無理に動かすのでガツガツ弾きになり、指や手を痛めるまで悲痛に練習して、そして手を壊す、という、まったくもって愚かしくも無駄なことを喜劇的に繰り返すことになります(悲劇じゃないよ、傍からみれば喜劇にみえるよ。でも、それってピアノ教育業界に大いに責任があるんじゃないの?だって、生徒さんをちゃんと指導できてないってことだよね。だいたいちゃんとしたノウハウもってるの?と疑いたくなります。そういうことを含めて私はピアノ教育業界を見斬って今は独学してます)。

 

そのことが、先月末から今月はじめにかけて、見えてしまったので、もうピアノで小手先の動きを意識するのはやめました。

 

また、腕や手首を脱力しろ!といいますが、ヒト本来の姿勢をとれば、意識しなくても、肩~腕~手首は勝手に脱力してくれます(力を入れる気にもならないくらいダラ~ンとして気持ちい~)。でも、ヒト本来の姿勢ではない猫背や胸を反らしすぎの姿勢で脱力しろと言われても、肩が内側にこわばって(猫背)いたり、外側につっぱらかっている(胸反らしすぎ)ので、絶対に脱力できません。なぜなら、肩~腕~手が脱力するために力をいれておかなければならない部分に力がはいっていないので、肩から腕にかけてこわばらせないと姿勢を保てないからです。

 

そんな姿勢でピアノを弾いても、そもそも動力源(体幹)からの力の伝達ができないうえに、力が伝わってきたとしても、姿勢を保つためにこわばらせた肩(と胸鎖関節)で力の伝達が止まってしまいます。だから、腕から先の力に頼る以外に方法がないのです。

 

ですから、ヒト本来の姿勢をちゃんと教えてあげないのに「脱力しろ」というのは、カエルに向かって「跳びあがって月を取れ」と言うのと同じで、できもしないことをやれと言う、残酷な指導です。

 

もちろん、ピアノを弾くときに、肩~腕~指先の力が完全に抜けてしまうわけではないと思います。ただ、ピアノを弾くために必要な力の大部分が、パワートレインの動力が伝わってきたものだということだと思います。そして、腕や指の筋肉や肘や手首の関節は、その動力を伝えたり、方向を変えたり、逃がしたり、その力を受け止めて踏ん張ったりする、力の調節のために主に使われていると思います。

 

そして、たとえば、そうやってパワートレインからの力を受け止めて無意識に踏ん張った手の形が、結果的にヒトにとって力学的に最も自然なドーム型(hand dome/arch)になるわけで、おおもとの肝心かなめの自然な姿勢とパワートレインのことを教えずに、結果的にできた手の形だけ教えても、何にもならないと思います。

 

以上ここまで書いてきたことを悟ったのは、合気道(日本武術)・野球・ボクシングのサイトやブログを読んだおかげです。姿勢や体幹の使い方の内容がとても充実していて、たくさんのヒントを頂きました。それをもとに試行錯誤した結果です。先日の記事にリンクを掲載したマラソン指導者の方の記事も、本質のメカニズムに光を当てています。というか、本来は、ヒトがその身体を動かして行う運動や活動は、スポーツでも格闘技でもダンスでも楽器演奏でも、基本の動きはみな同じということです(当たり前だ)。

 

それが、ピアノを含めた楽器演奏の分野で、ようやく言われるようになったのは、フィジカル面の要求が高いアコースティックな楽器演奏の経済規模が小さい(お金にならない)からでしょう。プロ野球やオリンピックの経済規模にくらべたら、吹けば飛ぶような規模でしょう(同じ音楽でもポップスの経済規模ははるかに大きい)。お金がないところには、ノウハウ研究への投資も乏しくて、科学的な研究がなかなか進まないので、アナクロなノウハウや非科学的な表現が残り続けてしまうことは理解できます。

 

しかし、それだけでしょうか?ピアノを含めて、音楽を仕事や趣味にする人たちの心のどこかに、格闘技やスポーツを「単に身体をつかうもので芸術的ではない」と見下して学ぼうともしない気持ちがないでしょうか。また、舶来思考・西洋崇拝が強いために、日本古来の武道に見向きもしないという心の貧しさがないでしょうか。楽器の演奏、とくに、白人男性が作り発展させてきたピアノのようなデカい楽器の演奏は、弾くこと自体がスポーツであり、まして、ちっぽけでやせっぽちの東洋人にとっては更に重労働になりますから、相対的には白人男性以上に身体能力のあるアスリートでなければまともに弾くことができないのは明らかです(「女こどものお手習い」を超えた次元を目指すのであれば)。また歴史的にほとんどの作曲家が白人男性ですから、10度に届かなければ、弾ける曲が物理的に限られてしまいます(ジャズピアノでも人種が違うだけでフィジカルの問題は同じ)。ルールはアウェイで作られています。サッカーの日本代表が「世界のレベル」で戦うのと同じ苦労があります。

 

貧弱なフィジカルの人間が世界のレベルで同等にやるためには、自分のホームで作って発展させたゲームやルールでプレーすることです。YMOヤマハDX7など、日本人が採用したソリューションは、鍵盤楽器の演奏の一部を機械化することだったのかもしれません(でも教授の手の大きさは世界標準だと思う、教授責任編集のピアノ譜によると)。

 

さいごに、日本武術(武道)や格闘技やスポーツは、歴史を通じて人間が命のやりとりをしてきた(決闘や戦争)なかで、命のやり取りをせずに勝ち負けで雌雄を決めるように発展してきたものですから、これ以上頭脳を極限的に使う活動はありません(命がかかったものがルーツですから)。

 

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