た・ま・な・お・と

おんがくとピアノのことを書いています

社会人は自分の好きな曲を弾くのがいいと思う(その①)

ハノンや体幹を鍛える基礎トレーニングをやるといいと思っていますが(個人的には効果を感じる)、

 

基礎トレーニングのほかは、自分が弾きたい曲を弾くのがいいと思ってそうしています。

 

社会人は趣味につかえる時間が少ないし、人生の時間は限られているので、どんなに身分不相応な曲と自分が思っても、そして人から思われても、今自分が弾きたい曲を弾きます。明日何が起きて、ピアノを(物理的に、または経済的に)弾けなくなるかわかりません。

 

それに、身もふたもない話ですが、素人は自分のお金を払ってピアノを弾くんですから、自分の好きな曲を弾くことを誰も止めることはできません。たとえ下手であっても、弾きたい曲を弾いて自分が満足すれば、それが最高です。

 

さらに、もっと身もふたもないことですが、わたしのような身体の使い方がわからない人が簡単な曲を弾いても、難しい曲を弾いても、下手に変わりはないからです。

 

一流のピアニストが弾けば、ブルグミュラー25も、リストの超絶技巧の曲も、なんでも名演奏になりますし、「文七元結(ぶんしちもっとい)」高座にかけてお客さんをうならせる大名人が「寿限無」をやっても、やっぱり至高の名人芸になります。そして、その逆もまさに真なりです。

 

なにを弾いても下手なら、弾きたい曲を弾いたほうがいいに決まっています。それに、基礎トレーニングをつづけていれば、身体の動かし方がわかってきて、好きな曲を弾きながら少しずつ腕が上がっていくと思います。

 

というのは、以前ピアノ会で、実力とかけ離れた曲を楽しそうに弾く方を二人ほど見たからです。

 

一人の方は、印象派のメジャーな作曲家の、そんなにメジャーじゃないパーカッシブでリズミカルな曲を弾かれました。その人が弾き始めた瞬間、「ゲっ、遅っ!」と私は心の中で叫びました。というのは、私はその曲を、ギーゼキングのCDで知っていたからです。

 

しかし次の瞬間、「そうだ、この人はわたしと同じ素人で、ギーゼキングじゃないんだっ!」と強く思い直しました。だいたい、いま地球上で、ギーゼキングと同じ力量とスピードでこの曲を演奏できるプロのピアニストがいったい何人いるでしょうか?

 

また、とあるピアノの発表会で、おなじ作曲家のアルペジオが激しく入り乱れる難曲を、会の主催者で音大ピアノ科卒の先生が弾きましたが、そのときも、私はその曲をやっぱりギーゼキングの超絶技巧ハイスピード演奏でしか知らなかったので、「ゲっ、下手っ!」と思ってしまったのでした。

 

世界的なピアニストの演奏を聴いてそれがふつうだと思いこんでいるわたしのように、誰の演奏でも神業と比較してしまう素人は、とても残酷な存在です。

 

話はもどりまして、その素人さんのスローな演奏をしばらく聴いているうちに、彼女がひとつひとつの音をとても丁寧に弾いていることに気がつきました。

 

彼女のピアノの先生の考えがわかってきました。たぶん、「この曲はとても難しいけれど、彼女が弾きたいと思っているのだから、キータッチを丁寧に弾くことで、大好きな曲の練習を通して腕を上げてもらいたい」と思っていることでしょう。良い先生を選んだなぁと思いました。

 

寄席でもそうですが、開口一番にでてくる前座さんは、その師匠の芸を鏡のように映します。「この前座さん上手い」と思って名前をみると、「あー、この師匠のお弟子さんかぁ、やっぱり!」と思います。そしてその逆もまた真なりです。

 

(その➁につづきます)

 

 

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ベートーベンはメタルか?

ピアノ会で、ベートーベンの曲(とくにマイナーキーの曲)を弾く方の演奏を聴いていたとき、

 

「あれ~、なんかメタルっぽいな~」と思ったことがあって、それがどうしてかハッキリしなかったのですが、

 

Rick Beato氏の Everything Musicの動画のひとつで、Beato氏が、「ハーモニックマイナースケールは、メタルのギタリストがソロでよく使う」と話すのを聞いて、ピンときました!

 

ハーモニックマイナースケールは、たとえばキーがAmでは:

ラ シ ド レ ミ ファ メラメラ ソ♯ ラ

で、

この、ファソ#の間に、半音3個分のインターバル(オグメンテッドセカンド(増2))ができます。

この半音3個分のインターバルを持つマイナースケールは、ハーモニックマイナースケールだけです。だから、メタルのギタリストは、

ナチュラルマイナー(ラ シ ド レ ミ ファ くもり ソ ラ)でもなく、

ロディックマイナー(ラ シ ド レ ミ ファ# キラキラ ソ# ラ ソ♮ くもり ファ♮ ミ。。)でもなく、

ハーモニックマイナー(ラ シ ド レ ミ ファ メラメラ ソ♯ ラ)

を好んで使うのではないか、つまり、

半音3個分のインターバルっていうのが、メタルポイントではないか!?と直感しました。

 

かたや、ベートーベンのマイナーキーの曲には、ディミニッシュコードがたくさん使われている気がします。たとえば『運命』では、最初の

「ンジャジャジャジャーーーン!」

からはじまるフレーズが

「。。。ンジャジャジャジャーージャ、ッジャジャジャジャーージャ、ッジャジャジャジャンッッッ、ジャンッッッ、ジャーーーーーーー。。。」

と引っ張っておいてからもう一発、

ジャ、ジャ、ジャ、ジャーーーン!」

ときて、

「ンジャジャジャジャ、ジャジャジャジャ、ジャジャジャジャ、ジャジャジャジャ、。。。」

と進んでいくくだり(↑上記赤字部分)に、バラけたディミニッシュコードがつかわれています(マイナーV9の一部)。

具体例:Beethoven's 5th (Movement 1) Meets Metal

 

このくだりはキーボードで

メラメラ メラメラ ファ メラメラ ラb

を逆に弾けばそうなりますが、ぜんぶのインターバルが半音3個分になっています。

半音3個分のインターバルメタルポイントであると仮定したばあい、

ディミニッシュコードはメタルポイントの宝庫、つまり、

ディミニッシュコードがよくでてくるベートーベンの曲は、メタルなのではないか!?

 

半音3個分のインターバルは、マイナーサード(短3)でもあります。マイナーサードは、マイナーキーをマイナーにしている張本人なので、それらを重ねたディミニッシュコードは、重ねた分だけマイナーが増幅されて暗さが増し、ベートーベンやメタルに通じる激しいシリアス感が醸成されるんだと思います。

 

でも、単にそれだけでメタルに聞こえるのではなさそうです。

 

なぜなら、中村吉右衛門版『鬼平犯科帳』の劇中のBGM(by津島利章)は、ディミニッシュが多く使われているにもかかわらず、メタルっぽくもベートーベンっぽくもありません。

 

これは、スローテンポでリズムもゆったりしているからだと思います。また、フルオーケストラより楽器のパートがずっと少ないので、音があっさりしていてクドくありません。江戸の情緒や人の世のひきこもごもが展開するストーリーを、しみじみとひきたてるために、津島先生はそのようなアレンジをされたのだと思います(ちなみに、オープニングテーマにはディミニッシュはほとんど使われていない)。

 

ところが、もうひとつのディミニッシュ多用曲、『火曜サスペンス劇場』のオープニングテーマになると、ベートーベンに近くなります。だいたい出だしからかなり『運命』です:

「ジャーージャーージャーーーーーーーンッ!、 ジャーージャーージャーーーーーーーーンッ!」

と、しょっぱなからティンパニーのドラムロールとともにディミニッシュコード(V7の一部)が鳴って(↑上記赤字部分)、一瞬で視聴者を深刻なドラマ性と息もつかせぬ緊迫感の世界に引きこみ、これから始まる連続殺人事件のサスペンスへ気持ちを高めます。低音ブラスが不穏に拍子を刻むなかストリングスが切り裂くように警鐘を鳴らし、今夜は京都か湯けむりか?とドキドキワクワクせずにはいられません。

 

つまり、半音3個分のインターバルに加えて、リズム感と、音の分厚さに、ベートーベンとメタルに合い通じるものがありそうです。

 

リズム感といえば、ベートーベンのピアノソナタには細かいリズム刻みの高速アルペジオ演奏が見受けられ、まるで生き急ぐ青春の激情を表現するかのように、聴いているこっちまで夕陽に向かってバカヤロー!と砂浜をわけもなく走りたくなるような青い三角定規の気分になっていきます。ピアノソナタ『月光』のさいごの曲の右手の高速アルペジオは、大映赤いシリーズ」の激しく人生を翻弄される主人公になった気分にさせてくれますし、実際にメタルのギターソロそのものです。

具体例: Ludwig van Beethoven - Moonlight Sonata ( 3rd Movement ) Tina S Cover

 

音の分厚さで忘れてはならないのは、ベートーベンのくり出す重低音コードです。鍵盤の低音域で「ドミソド」を同時にバーン!と鳴らせばもうベートーベンです。低音域の和音は、中音域から高音域のピアノの弦が共鳴して倍音がたくさん鳴るそうです。そのために、「え?なんか重大なことあったの?」と一瞬びっくり畏れかしこまるような、マグニフィセントでノイズ感あふれる低音のラウドサウンドになるのかもしれません。

 

メタルでは、サウンドにノイズと重厚感を与えるのがバスドラムではないかと思います。ドラマーが足でバスドラを連打することで、低音ノイズがふんだんに発生し、サウンド全体の重心が下がり、低音域が分厚くなって、荘厳で絢爛なメタルサウンドになるのかなぁと勘ぐります。

 

このように、ベートーベンとメタルには次の3つの共通点があると思いました:

半音3個分のインターバルがつくる激しいシリアス感

高速アルペジオ演奏による、生き急ぐ青春の激情感

低音域からくり出すノイズ感あふれる重厚なサウンド

 

洋の東西をとわず、人は若いときは、大人が作り上げたエスタブリッシュメントへの反抗心を、若さゆえのあり余る身体パワーや情熱でターボチャージして、ダンスや音楽やポエムなどの表現媒体を通して発散しながら、青春時代を駆けぬけていくものです。

 

若者は、その時代ごとに、大人が顔をしかめるようなヤバいサウンドを創り演奏することによって、若者であることを表現してきたんだと思います。ジャズも、フォークも、かつては警察から目を付けられる音楽ムーブメントでした。メタルもそのような若者の青春の反抗精神から生まれてきたと思います。

 

そして、若者から反抗の矛先を向けられる大人たちも、かつては、その前の時代の大人たちに反抗する若者でした。ヘッドバンギングをしていた長髪の若者も年をとるにつれてエッジがとれて、いつしかメタルも西洋音楽エスタブリッシュメントに取りこまれてゆくのでしょう。

 

バッハ、モーツァルトとともにカウンターポイントの模範とされる楽聖ベートーベンの曲も、当時のエスタブリッシュメントからすれば、反抗精神に溢れたヤバいサウンドだったみたいです。

「音楽の進化を推し進めた偉大な作曲家の当時の評判はひどかったと相場がきまっている。パーセルはいろいろ試して結果はいつも大失敗、バッハはフーガの書き方がわかっちゃいない、ベートーベンのコード進行の汚さは犯罪レベル、ワーグナーはインチキ野郎で、リヒャルト・シュトラウスは当時もヤバいが今もヤバい、ドビュッシーにいたってはもうナイトメア!という具合に」

みたいなことを、下記の方が書いていらっしゃいました:

It was common knowledge in his time that Purcell was a blundering experimenter, Bach did not write correct fugue, Beethoven perpetrated ugly progressions, Wagner was a charlatan, Richard Strauss was and remains to many a danger-signal, and Claude Debussy a nightmare. (Arthur G. Potter, The Tonal Scale in Harmony, 1910年)

 

親の世代やエスタブリッシュメントへの反抗心が、ベートーベンの作曲パワーの源だったとすれば、本質的には今の時代のメタルと同じなのかもしれません。

 

ベートーベンは今の西洋の若者にも強いアピールをもっているようです。ベートーベンの時代にメタルという言葉があったら、メタルと言われていたと、私は思います:

Beethoven, the Heavy Metal of the Early 19th Century! | Nicolas Ellis | TEDxYouth@Montreal

 

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大人からピアノを独学で始められるか

大人からピアノを独学で始めることができるか?ネットで動画を見たり情報をとれる今の世の中ではじゅうぶんに可能だと思います。とはいえ、最初に短期間や単発のレッスンを受けるメリットもあると思います。

 

バーベキューで、炭にじゅうぶんに火がつくまでに、火の燃焼を助けるジェルみたいなものを炭の上にかけて、火をつけることがあると思いますが、初期段階で受けるレッスンは、それと同じ「プライマー効果」があると思います。

 

ただし、大人のピアノをじゅうぶんにガイドしてくれて、レッスン料もリーズナブルな先生を見つけられるどうかが、ネックになってくると思います。

 

大人の生徒のスペックには大きなばらつきがあると思います。大人でピアノをやりたいと思うのには、人それぞれ、いろいろな程度の夢や憧れや目的があってのことで、各自のビジョンに特徴があって、それが先鋭化されていると思うからです。

 

社会人としてのバックグラウンドも影響します。会社で働く人は、日々の仕事で身についた文化(社風や慣習)やビジネス的な思考(合理性やスピード感や交渉術)や視点(コスト感覚や成果主義)、そして仕事の分野の専門知識(工学、営業、分析、リサーチなど)を、鎧のようにまとっています。そして、時には大変な仕事をやり遂げてきたというプライドを、誰しも持っています。

 

仕事以外の生活でも、そのようにして培った価値観や知識やプライドに照らしてベンチマーキングしながら、人は品物やサービスを選ぶものです。何かを習う時もそうです。

 

それを迎え撃つピアノの先生たちの鎧は「人に教えるノウハウ」ですが、事業や商売に所属してその中核や歯車として働くノウハウとは違います。

 

さらに、ピアノの先生の種類によって、大人の生徒への対応能力に大きな違いがあると思います:

 

主婦で子育てをしながら自分の家で子どもたちにピアノを教える先生は、子どもを持つ親にとって、「お母さん先生」という安心感があり、必然的に子供の生徒さんが多くなると思います。逆に、大人の生徒を教える機会が乏しくなり、また先生本人の生活や考え方が子ども中心の目線であるため、社会人の生徒に対応できるノウハウが乏しいと思います。

 

また、育メンの旦那様や代行サービスで家事や子育てを外注できる先生を除いて、生活のなかで自分の練習時間を十分に確保してコンサートで実演するのも大変だと思うので、演奏家としての実地の経験が乏しくなりがちです。スキルアップの勉強のための時間をとるのも難しいと思うので、レッスンの内容が画一的になる可能性があります。ただしレッスン料は高くないと思います。

 

ピアノをやりたい社会人のなかには、特定のジャンルや時代や作曲家への興味が先鋭化している人が多いとおもいます。たとえば、バッハが好きで、有名なピアニストのコンサートに足しげく通って演奏を聴き比べたり、バッハの伝記を読んだりしているうちに、自分も弾いてみたい!と思ったような人の、肥えた耳と知識欲を満足させながらピアノを教えてくれる先生はいるのでしょうか。

 

ピンポイントの対象領域を持っている大人は、その分野が専門の音大の先生やピアニストに習っているようです。ただし月謝はそれなりに高いと思います。

 

個人的な経験ですが、私がやりたいジャンルを弾かれる、かなり名のあるピアニストさんに1回だけ習ったことがあります。1回だけになったのは、レッスン料を含めて私にはとても払いきれない高級な道楽になりそうだったからです。1回1時間のレッスン料が歌舞伎座の一等席より高い値段で、レッスン料からしてそんなですから、数分の時間枠を購入して出演する発表会のお値段も私にとってはサプライズで、また現役のピアニストさんなので、コンサートがあればチケットを買う必要もあるんだろうなぁと思ったり、私の経済力ではとても続かないと思いました。こういった現役の方に習う場合は、私個人のピアノスキルの上達というよりも、そのピアニストのファンというかお客さんというか、パトロンのひとりになる意味あいのほうが強くなるんだろうなぁ、と思いました。レッスンの内容は、曲の解釈と強弱などのつけ方の指導と、音を出す際の技術的なアドバイスが2個と、メンタル面の励ましで、内容自体はよかったと思いますが、レッスン料は内容プラスその方のお名前の値段だったと思います。その方は、ピアノ演奏、パフォーマンス、顧客維持努力も含めて、さすがにプロだと思います。

 

もちろん、それほど高額でないピアニスト先生もたくさんいると思いますが、現役の演奏家に習えば、コンサートのチケット購入などの追加負担のプレッシャーはあると思います。チケットを買って聴きに行く価値のある演奏家かどうかが、習う際の判断のポイントになるのではないかと思います。

 

大手の音楽教室の大人のレッスンも、それなりの価値はあると思います。グループレッスンは生徒個人の希望がどれだけかなうかわかりませんが、個人レッスンもあるし、体験レッスンもシステム化されているし、先生個人と生徒の間に企業が介在しますから、先生に対する義理人情にとらわれることなくピアノを習い始めたり中止したりとビジネスライクにできるので良いと思います。

 

お母さん先生、ピアニスト先生、音楽教室の個人レッスンを体験して思うのは、自分の希望にピッタリ合う先生は絶対にいないということです。ハズれた粗忽者の私は当然ですが、まっとうな人にとっても、その人の価値観や、好みのジャンルや、ピアノをやりたい目的や、ピアノを弾くのですから身体能力も含めて、全部の要素を考慮したレッスンを、リーズナブルな価格で提供して、しかも上達させてくれる先生というかサービスは存在しません。

 

ただ、ピアノを始める段階でなんらかのレッスンを受けると、ガイドを付けたというそこそこの安心感ができますし、単発や短期レッスンで何人かの先生に習ってみると、ピアノの練習方法のベンチマーキングができるし、ピアノ教育業界の経済の回りかた、つまり生徒(お客様)からの収益の上げ方も少しわかると思うので、利用者としての賢い使い方の勘どころができてくると思います。働いて稼いだ貴重なお金を、どのようなサービスの対価として気持ちよく使いたいかを考える機会になります。

 

ピアノでも何でも、何かのスキルを得るためには、自分で試行錯誤して自分で気づいて工夫して改良しながら少しずつマスターしていくものだと思うので、先生に習っても、動画や本で独学しても、最終的には自分で判断しながらやっていくんだと思います。

 

🌞た・ま・な・お・と🌞

ピアノを丹田と肩甲骨で弾く

ピアノの打鍵のインパクトを調整するために背中の筋肉を使うようにしたら背中が痛くなっていましたが、肩甲骨を前の方向に内側に回して腕を動かすようにしたら、背中が痛くなくなってきました。

 

そして肩甲骨まわりがほぐれてきました。肩甲骨を回して腕を動かして弾くと、いままででいちばんいい音が鳴り出しました。

 

これは、肩甲骨をまわす(回転運動)ことで、肘や手首も連動して回転運動をはじめて、鍵盤の上を上下左右に移動する腕のスピードの方向を多面的に変えることができるようになり、打鍵スピードをより細やかに調整できるようになるからだと思います。

 

「背中で弾く」ってこういうことなのかなぁと思いました。

 

また、椅子に座って、おへそから10cm下の内臓部分に小さめの鉄のプレートが縦に入っていると思うと、尾てい骨で上半身を支えているように感じて、腰がスクッと立ちます。そうすると、上半身があるべきポジションに決まる感覚があって、上半身がブレなくなって、スコーンと良い音が出ると思いました。これが丹田なのかなぁと思います。バッティングでいうところの「会心の当たり」というのか、おへその下に身体の芯があってそれを中心に骨格や筋肉が本来の動きをして力が最も効率よく伝えた感じがあります。

 

音を良くしたいと思ってからここまで気づくのに1年かかりました。今から思えば、1年前は、肩はおろか、肘すらまともに動いていなかったと思います。腕のスピードを制御するための柔軟な回転運動がまったくないのですから、まるでコチコチのハンマーで鍵盤を叩いていたようなものです。しかも、体幹がブレブレなので、何をどうやってもガンガンブレブレの音しか出ないはずです。

 

ピアノの先生のところでは「こういう音を出しちゃいけない」と、悪い見本の音をガンガンと鳴らされました。「んなことわかってるけどできないからレッスンに来てんじゃねーかよーっ!」と言いたい気もちを腹の中におさめて、いつもうなだれて帰路についていました(良い音の見本も聞かせてもらったけど、単細胞の愚か者なので、悪い見本を聞かされる方ばかり刷り込まれた。というか、ネガティブな言葉のインパクトを打ち消すためには、ポジティブな言葉を4回言う必要があると『ポジティブ・サイコロジー』に書いてあったと思うので、言葉でも音でも「悪い」ものの威力は強いんだと思う。)。

 

「肘を返さないように」と言われて頭の中が真っ白になったこともあります。人間の関節は力を伝達したり向きを変えたりするために回るようにできていると思っていたので、「えーーっ!? 肘を返さなかったら、手首と指しか回せないってこと?」と判断して、家に帰ってやってみても上手くいきません。運動オンチで子供のころから体の使い方がチグハグで、しかも頭の弱い私は、「肘を返さないように」と聞いただけで、その本質にある意味まで斟酌できる脳力も身体能力も持ちあわせていません。

 

そんな粗忽者の私を教える先生の苦労も大変なものだと思います。そのくらいの気は回るので、とんちんかんな質問をいろいろ浴びせたら先生も迷惑だろうと思って、何とか自己解決する方向に切り替えました。

 

YouTubeでいろいろ探した結果、Ilinca Vartic先生の腕の動きがとてもきれいだったのでマネし始めました。それが高じて、先生の初級者向けのレッスン動画を中心に、しばらく有料でオンライン購読しました:

Ilinca Vartic先生のレッスン動画のひとつ

PianoCareerAacademyのサイト(音がでます)

 

Vartic先生はロシア式のクラシックピアノの先生ですが、ロシア式でもなんでもいいから、とにかくこのガツガツ音をなんとかしたい!という思いだけでした。初級者向けレッスンの、片手だけで弾く動画や、両手で弾く子供向けのとても簡単な曲の動画を見ながら、Vartic先生の腕の動きをマネました。

 

Vartic先生の動画のひとつで、「合気道をやっている生徒さんが、ピアノと合気道には共通するところがあると言っている」とコメントしていたのが、頭に残りました。それで、合気道の動画を見たり、スポーツの本を読んだりしました。

 

そして、以前フェルデンクライスをちょっとかじったときに、「身体を柔らかくしようとがんばるのではなく、今じぶんの体がどのように動いているかを観察しましょう」という先生の言葉もずっと頭に残っていました。それで、ピアノを弾くときの自分の動きに注意をはらって、ああでもない、こうでもない、と試行錯誤していました。

 

そうして独学で試行錯誤しながら、ピアノのレッスンに通っていると、あるとき先生から、「(どんどんうまくなって)怖い」と言われました。私が予想を超えるスピードで上達しているからそう言われたんだと思いました。やっている方法が的外れではないことが立証されたと思ったので、さらに独自に試行錯誤を続けました(いまはピアノのレッスンは中断しています)。

 

もともと騒音にしか聞こえなかったツェルニーをやめ、ハノンを中断してもっと単純で12キーで練習するベリンガーに切り替えました。個人的にはまったく音楽的と思わないツェルニーを嫌々やるよりも、ハノンやベリンガーで筋トレをちゃんとやった上で、どんなに実力に不相応でも、自分が弾きたい作曲家の曲をやったほうが、自分の音楽の情操にっとってずっと健全だと思ったからです(ツェルニー至高の音楽だと感じる人は、もちろんツェルニーをやるのがいちばんだと思います)。

 

いままでの試行錯誤でわかったのは、①丹田をしっかりさせて上体をぶれないようにしたうえで、②肩甲骨を前方&内側に向けて回転運動させて、背中と肩と胸から上の筋肉を使うことで、肘から先の力が自然に抜けて、打鍵のコントロールがしやすくなるということです。まずは、①丹田を意識した姿勢づくりがいちばんの基本で、そのあとに②肩甲骨の回転だと思います。そうすると、腰から上の背骨もしなるように動く感じがします。この動きが肝(きも)なのかもしれません。

 

Vartic先生が動画のなかで肩甲骨を回すように言っていたどうかは覚えていませんが、背中の力を指先に伝えて弾くということはおっしゃっていたと思います。先生の肩~背中の分厚さと腕の動きから、おそらく肩甲骨から動かしているのではないかと推測します。

 

また、子どもの頃にロシア系移民の先生にピアノを習ったジェイソン・モランさんの肩まわりも分厚く見えるので、肩甲骨から動かしている結果そうなったのではないかと思っています。モランさんもとても柔らかい腕の動きをすると思います。その先生はスズキメソッドの先生だったそうですが、ロシア系移民という点に何かあるような気がします:

Jason Moran on his music education and teaching

 

今回気づいたことが正しいかどうかわかりませんが、少なくとも今の自分にはいちばん合っていると思います。これからも自分を観察して試行錯誤していこうと思います(ネットで調べても、肩甲骨を回してピアノを弾くように推めているサイトが数えるほどしかない。検索のしかたがわるいのかな?丹田とピアノについてはたくさんヒットする)。

 

ピアノでも生活面でも、人間本来の姿勢や動きができていることが肝心なんだなぁ、それができていないと、何をどうがんばっても、うまくいかないんだなぁ、と痛感しました。

 

武道やスポーツやクラシックバレエなどをやっていれば、とっくの昔に姿勢と上半身の動かし方ができていたかもしれません。いや、運動オンチのわたしはそれでもできなかったかもしれません。でも、せめて、まずは武道を習ったりして姿勢の勘どころがつかめてからピアノを再開するテもあったかなぁ、という気もしています。

 

それに、日本の武道の動きをとりいれてピアノでもなんでも楽器を弾けば、日本人の競争優位性になります。ヨーロッパやロシアのやり方をそのままマネるだけでは永遠に本家の良き生徒のままですが、彼らの文化の外から独自のルールで殴りこめば、ゲームチェインジャーとなり、だれの生徒に甘んずる必要もありません。

 

🌞た・ま・な・お・と🌞

子どものピアノ演奏

以前、とあるピアノの発表会を見に行ったとき、子どもたちの生気のないおじぎが気になりました。ステージに上がってピアノの前に立つと、無表情で元気のないおじぎをする。

 

子どもってもっと元気なはずじゃないの?「ぼくのわたしのチョーカッコイイ演奏きいてきいてっ!」っていうハツラツ感がまるでない。弾く前から元気ないんじゃぁ演奏が上手く聞こえるわけがない(どんなに技術的に巧くても)。

 

礼儀作法の訓練のために、しおらしいおじぎをするように指導されているのかもしれないけど、人前で弾く演奏はまがいなりにもエンターテインメントなんだから、聴いてくれる人に笑顔を振りまいてサービスするのが、エンターテインメントの礼儀。

 

お客さまの心をわしづかみにして、「この人の演奏をまた聴きに行きたいなぁ(お金を払ってでも)!」って思わせる、サービス精神あふれるパフォーマンスをするのが、エンターテインメントの基本中の基本。ピアニストはエンターテイナー。エンターテイナーは、日本語で「芸人」。

 

「芸術家」って言いかえてもいい。人の心を動かすものが「芸術」なら、人を楽しい気持ちにさせるのも「芸術」。「芸術」は、「芸能」を桐の箱に入れて、うやうやしくたてまつっただけのもの。だから、「わたくし芸術家ですの」なんて山の手ぶっておちょぼ口で言わずに、「へぃ、あっしは芸人でごぜぇます」って言ったほうが、よっぽどいさぎよくてカッコイイ。

 

日本のエンターテインメントの元祖は、アメノウズメっていう、古事記に出てくる神様。アメノウズメそのまんまのマネは問題あるけど、みなさんに楽しんでいただくんだ!っていう覚悟で、心の中でケツまくって命を削ってパフォーマンスするのが、本当の芸人魂(芸術家魂)。

 

礼儀作法の練習なら小笠原流を習ったらいいと思う。でも、相手に心から礼節を尽くして気分よくしてもらうのが礼儀作法の基本。礼儀作法の練習で無表情のおじぎをしていては落第だ。いわんやエンターテインメントをや。ピアノ演奏の肝心かなめの「心(こころ)」はいったいどこへ行ったの?

 

🌞た・ま・な・お・と🌞

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クラシック音楽理論は英語になるとポップス&ジャズの人にやさしい

 

とてもわかりやすいクラシック音楽理論の動画を見つけました:

Seth Monahan教授(Eastman School of Music)の動画:

クラシック音楽理論:Lesson 1: Major Scales

②カウンターポイント(対位法):Harmonic Species Counterpoint: Lesson 1

 

西洋人向けの英語の動画ですが、日本人でもポップスやジャズをやっている人だったら、動画のスライドを見て内容をだいたい理解できます。

 

なぜなら、この動画には、ポップスやジャズの人にとって音楽用語の言語障壁がないからです。

 

ハ長調」は「Cメイジャー」、「嬰へ長調」は「Fシャープメイジャー」ですし、「(固定)ドレミファソラシド」は英語読みの「C D E F...」です。

 

この動画に限ったことではありませんが、クラシック音楽に関する英語の動画は用語もぜんぶ英語です。

 

ルート、スケール、ケイデンス、インバージョンやザ・サークル・オブ・フィフスなど、ポップスやジャズをやっている人ならまったく問題ありません。

 

バッハの時代に鍵盤楽器の伴奏用に使われていたフィギュアド・ベース(figured base)の説明もあります(これで、バッハのコラール集の2声の曲のベース音の上に書いてある小さい数字の意味がわかった)。今でもこのフィギュアド・ベースの数字がインバージョンを表す記号に使われているので、そのルーツを知ることができました(イギリスではインバージョンを「a」や「b」で表すかもしれません)。

 

それに、この方の動画の Lesson 1(メイジャースケール)で、オープニングテーマ曲のあと最初にでてくる音は、ブルーススケールの音です。つづいて、ホールトーンやディミニッシュ、ミクソリディアンモードといった、おもに20世紀以降の音楽で使われるスケールの例を紹介したあと、ようやく、西洋音楽で昔から使われているメイジャースケールの説明にはいります。カウンターポイント(対位法)の動画では、ビートルズの音楽が使用例として紹介されています。アメリカの音楽理論の動画には、クラシックから発展したジャンルへのつながりを感じさせます。ジャズやポップスがアメリカ(とイギリス)を中心に発展したことをが背景にあるのかもしれません。

 

そのうえ、例にあげられるクラシック曲が、クラシックにウトい私でも知っているメジャーな曲が多いので、「この曲のこの部分って、こうなってるんだ!」と楽しめます。

 

動画主のSeth Monahan教授は、Eastman School of Musicの教授です。ハーモニー(和声学)の元祖 Johann Joseph Fuxの英訳版「The Study of Counterpoint」を英訳したAlfred Mann教授と同じ大学の教授です。

 

カウンターポイントは西洋音楽(当然ポップスやジャズを含む)の出汁(味の基本)だと思いますが、この教授は、入口の敷居を低くしてわかりやすく説明しようとしています。

 

動画を見てひとつ気に留めたいと思ったのは、アメリカ英語とイギリス英語で、音楽の用語がいくぶん違うと思われる点です。インバージョンの表記のほかにも、この動画では、「Cメイジャーのレラティブ・マイナーはAマイナー、パラレルマイナーはCがルートのマイナー3種類(ナチュラル、ハーモニック、メロディック)」ですが、これはアメリカ英語の言い方かもしれません。イギリスやヨーロッパ人が話す英語(つまりイギリス英語)では、Cメイジャーに対してAマイナーをパラレルマイナーと呼んでいるかもしれません(日本ではこっちの呼び方の日本語訳ですね)。

 

わたしはドイツ語より英語のほうが少しはなじみがあるのと、「法」や「学」などの漢字を使うとなんだか必要以上に難しそうに思えてしまい、英語の音楽用語のカタカナ書きのほうが簡単そうに感じるので、そうしています。音楽で英語圏に留学したい人や、音楽の仕事で英語でコミュニケーションをする必要がある人は、こういった動画を見ると用語や言い方を知ることができて役にたちます。

 

🌞た・ま・な・お・と🌞

ピアノはスポーツ

ピアノはスポーツとほとんど一緒だと思います。身体を動かして自分の思いを人に伝えるか(芸術)、雌雄を決するか(スポーツ)の違いだけだと思います。芸術は、自己表現を音とか色とか動きとかに物理的に表して人を感動させるし、スポーツは、勝負のために極限のプレイをして人を感動させます。

 

楽譜をマニュアルどおりに正確に弾くのが目標なら、スポーツで空手の型とかボール競技のフォーメーションをやっているのと同じです。自己表現の気持ちがそこに入っていません。

   

だから、人前でマニュアルどおりにミスのないようにピアノを弾く意味がよくわかりません(自宅やスタジオで練習するときは別です)。下手でもまちがえても、その人の思いやキャラクターがさく裂する演奏が好きです(アマチュアの場合です。お金を頂くプロはそうはいかないと思います)。

 

そうはいっても、ピアノでも身体的な技術があったほうが、自分の思いやキャラを表現する幅がひろがります - あくまで、自分を表現するためのツールとしてです。

 

ピアノの音が悪いとか、ミスタッチやひっかけが多いといった、技術的な「下手」の要素のうち、かなりの部分が、ピアノを弾くために必要な筋肉がそもそも足りていなかったり、骨や関節の使い方がわかっていなかったり、わかっていても体がこり固まっていて動かないだけのことではないかと思います。

 

ピアノの音が悪いと言われた場合、音がうるさい、音量やタッチの調節ができない、ドタドタ弾きになる、ということではないかと思いますが、それは、打鍵のインパクトを細かくコントロールできる筋力がなく、あっても体の動かし方がわからず、わかっていても体が思うように動かないから、思わずキーがドスンっと沈んでしまうからだと思います。

 

また、「芯がある音」とか「粒のそろった音」とかいわれますが、それは、体幹がしっかりしていれば、自分が発揮する力のタメがぶれたり漏れたりせずにしっかり指先まで伝わって、強弱にかんけいなくクリアーできれいな音が出せるんだと思います(野球のバッティングでいう「会心の当たり」と同じメカニズム)。

 

ミスタッチについては、覚え違いや雑念といった脳内の原因ではなくて、たとえば、キーの場所はちゃんとわかっているのに指が今一歩届かなくて引っかかってかすれたとか、逆に、勢い余って隣のキーを弾いてしまった、といったミスタッチは、単に、目標地点に間違いなくヒットするコントロールが身体能力的にできていないからだと思います。

 

長期間かなりの時間を練習に費やしても相変わらずドタドタ弾きだったり、着地に失敗してばかりいる場合は、ピアノの演奏に必要な筋力と動きを実現する練習ができていない。 だから、練習を工夫して、筋力をつけて動きが身につけば、問題の多くは簡単に解決するのではないかと思います。

 

芸術的なセンスがないのではなくて、単にフィジカルが足りてないだけのことかもしれない。

 

「歌うように」と言われても、頭の中で歌っていても打鍵のインパクトとリリースを物理的にコントロールできなければ、脳内のイメージはいつまでたっても音に反映されない。100メートルを10秒以内で走りたいと思っただけで、ふつうの人が走れるわけがない。

 

だから、まずは必要なフィジカルと動きを実現すれば、ピアノのレッスンで同じことを何度も注意されることがぐっと減るのではないかと思います。

 

音がよくないままの人は、もしかすると、私のような、頭で考えるのは好きだけど体を動かすことが苦手な文科部系の人が多いんじゃないかなと勘ぐります。子供のころから運動オンチで、いつまでたっても逆上がりができず、体育の授業では先生から呆れられ、通信簿も体育だけが目立って悪く、スポーツをやってもいいことがひとつもないので、文化的な「芸術」だったら....、と思ってピアノに向かう人がいるんじゃないかと思います。

 

ところが、「芸術」といっても、楽器の演奏や歌唱やダンスや演劇などは身体を使います(絵画でも絵筆を動かす)。そして悪いことに、運動オンチの人は、日常生活に必要な範囲を超えた身体の動かし方を知らないし、頭ではすぐ理解できるのに、身体の動きがぜんぜんそれについていかないので、なかなかうまくいかないんだと思います。

 

逆にピアノの先生は、もともと運動的な勘が良いからピアノも上手くて、褒められてどんどん練習するうちに必要な体幹や筋肉が意識しなくても自然について、ますます上手になったからピアノの先生になっているのかもしれません。だとしたら、何度おなじことを注意をしても一向に上手くならない目の前の生徒が、どうしてできないのか、想像するのがむずかしい先生もいるんじゃないかと思います。

 

一方、運動オンチの生徒のほうは、「音が悪い」とか「音量の調節ができない」と指摘されつづけ、いろいろサイトを調べたり、練習を工夫してみたりするのですが、スポーツにある、長期にわたる地味な練習の積み重ねで体を作っていくというプロセスに全く慣れていないので、頭の中でノウハウばかりが空回りして、おおもとの体づくりがぜんぜんできていなくて、一向に上手くならずにますます悩むというドツボな状況にはまってしまう人もいるんじゃないかと思います。

 

「正しい姿勢を保って」と言われても、今まで猫背で生きてきた人は「正しい姿勢」の作り方の見当すらつかないうえに、体幹が貧弱だから胴体だけではぜんぜん支えられず、肩や腕の筋肉まで固くしないと姿勢を保てないので、いちばん柔軟に使わなければならない肩や腕がガチガチになって、着地もままらならず、ますます音がやかましくなるという、最悪の状態になってしまうような気がします。

 

よくピアノを弾くのに「力を抜いて」と聞きますが、それ自体が重い両腕を中空に維持しながら、それなりに重みのある鍵盤を力を抜いて弾くためには、そもそも、力を抜いても腕や上体を保って弾けるだけの力がなければならないのではないでしょうか。力のない人が力を抜いてしまうと、もともと力がないうえに、額面どおりに解釈してぜんぶの力を抜いてしまうので、力はほんとうにゼロになってしまいます(ピアノを弾く力もない)。

 

ピアノの演奏は身体を動かして弾く物理的な運動です。念力では弾けないので、物理的な(フィジカルな)動きをするのに自分の身体(フィジカル)を動かします。だから、フィジカルに動く能力がないと、どんなに芸術的なビジョンを脳内に描けても表現できません。崇高な観念と、お粗末な伝達手段(自分の身体)の間に、大きなギャップがあります。

 

運動オンチでスポーツもろくにやってこなかった私のような人は、ピアノや芸術のセンスがないのではないかとクヨクヨする前に、まずはフィジカルをつくったほうが結果的に近道になると思います。

 

先生には、そんな生徒が少しでも上手くなるような道を示してもらいたいと思います。もしくは、自分が運動オンチだったら、ピアノのレッスンを受けるまえにスポーツのレッスンを受けてフィジカルを作ってからやったほうが、ピアノ上達のコストパフォーマンスがよいかもしれません。

 

技術的なことばかり書きましたが、最終的には、「技術的に下手」であっても、自己表現がさく裂する渾身の演奏が、いちばん尊いものです。マニュアルどおりに弾こうとする演奏は、空手の型の披露と同じです。空手は試合になると勝ち負けがつきますが、芸のパフォーマンスは自分を表現して人の心をつかむことです。弾き終わったあとで「トリルが上手く弾けなかった」みたいな技巧的な反省を過度にする人を見ると、この人は自己表現ではなくてスポーツの型を披露したんだなと思います。

 

🌞た・ま・な・お・と🌞

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